一人ひとりが不安なく暮らせる、持続可能な社会を目指して――AIエバンジェリストと考える、技術を価値に変える現場の重要性
パナソニック コネクト 技術研究開発本部 知能システム研究所CPSアーキテクチャー研究部の研究員は、製造、物流、流通の現場へと積極的に足を運ぶ。背景には、同研究部のシニアマネージャーでありAI技術領域のエバンジェリストを務める大坪紹二が、自身のキャリアを通して得た貴重な気づきがあった。現場で活きる技術を目指す、パナソニック コネクト独自の技術研究開発部門のあり方と、今後のビジョンを語ってもらった。
取材・文:太田百合子、写真:池村隆司
現場で本当に使える技術を
――はじめに、CPSアーキテクチャー研究部の主な役割について教えてください。
大坪:製造、物流、流通のサプライチェーンを担う法人のお客様の現場作業をされている方に向けて、AIや機械学習を用いた技術の研究開発と、その技術を実際に使えるようにするためのソフトウェア開発を含むアーキテクチャーの研究開発をしています。
――改めてCPS=サイバーフィジカルシステムとはどのようなものなのでしょうか?
大坪:私たちのターゲットである現場は、eコマースやSNSのように最初から情報がデジタル化され、サービスもサイバー空間で完結するものではありません。研究開発領域であるCPS技術とは、現場の方々が物理的な空間(フィジカル空間)で自らの勘と経験、肉体を使って行われている活動を、センシングやコンピューティング技術により代替し、現場の方々を支援するシステムです。
AIや機械学習においては、データを集めて学習し、現場に実装してからさらに再学習を回していくエコシステムが欠かせません。いつも大切にしているのが、CPSループという考え方です。今まさに現場で働かれている方々の作業をいかに効率化していくか。そのためにはフィジカル空間をセンシングしたデータを、サイバー空間のAI・コンピューティングで予測・最適化し、ロボットなど物理的に作用するアクチュエーションを通して、またフィジカル空間に戻していくというループを構築する必要があります。このループを通じてフィジカル空間にどう価値が届けられるのかを考え、研究開発によって不可能を可能にしていくのが、私たちの使命です。
CPSループ概略図
――現在、取り組まれている技術研究開発において、特に重視していることは何ですか?
大坪:現場のニーズを知るためには、まず研究者・技術者が、実際の工場や倉庫、配送の現場で、業務知識と業務プロセスを直接見て、学ぶことが重要だと考えています。ときにはドライバーさんの助手席に乗せていただきながら、自社で解決できる可能性のある困りごとを日々見つけています。
研究室にいるだけでは分からない現場のプロセスやナレッジを研究開発に持ち帰り、それを現場で本当に使える技術の開発に役立てていく。こうした取り組みは全てのプロジェクトに共通するポイントです。そのために研究開発に携わるメンバーは、技術的見解を持ちつつ業務プロセスを理解するという、2つのスペシャリティを同時に擁する必要があると思っています。
現場と研究をハイブリッドに組み合わせる
――なぜ研究者が自ら「現場」で学ぶことが必要なのでしょうか?
大坪:1つには、私自身の経験から得た気づきがあります。現在の技術研究開発本部の前身となるイノベーションセンターが発足したときに、初めて、実際に法人のお客様の現場を訪問させていただきました。
研究所には多くの技術がありますが、これまではどのようにそれがお客様のニーズにつなげられるのかがわかっていなかった。一方、現場では技術で解決できる困りごとが、技術に結びつかずに手つかずになっている現状があることを知りました。研究者・技術者が本当に欲しかった、ニーズとシーズを組み合わせるための情報は現場にあることに気づいたんです。このときの経験が、現場と研究をハイブリッドに組み合わせていくという今の方針のきっかけになっています。
AI研究の今後を見据えると、現場で得られるものは大きいと思います。今、AIが注目を集めている背景には、アルゴリズムの進化と豊富なコンピューティングリソースによって、膨大な情報を処理できるようになったことがあります。しかし、それらはいずれコモディティ化していきます。無料の論文が出てくるし、どんどんコンピューティングリソースは安くなっていくからです。
本当に価値のある情報は、現場でしか手に入りません。現場の方々にとってはすでに暗黙の了解となっていて、データ化はもちろん、言語化もされていないような報酬や制約、条件などの「ドメイン知識」が、実は何よりも大切なんです。それはどんなに論文を読んでもわかりません。しかしそのナレッジがなければ、どんなにセンシングしても、どんなに精度の高いアクチュエーションのデバイスがあっても、現場に価値を届けられない。だからこそ私たちが現場に入り込んで、お客さまが求める機能を提供するために必要な知識を得ながら、技術に落とし込んでいく必要があるのです。
――大坪さんのそうした発想にはこれまでのキャリアが影響しているのでしょうか?
大坪:そうですね。私は2002年に松下電器産業(現・パナソニック ホールディングス)に入社したのですが、当時からハードディスクレコーダー「DIGA」のファイルシステムや、機械学習を使ったレコメンド技術の開発、法人のお客様向けの新規ソリューションの事業開発など、幅広い業務に携わってきました。1つの分野でスペシャリストとして活躍する技術者も多い中で、珍しいケースだと思います。それらの経験を通じて、異なるドメイン情報の組み合わせから、新たな価値が生まれることを実感しました。ゼロから生み出すインベンション(発明)と違って、イノベーション(革新)は、それまでつながっていなかった課題と技術を結びつけることで生まれるものです。普通では考えられないほど幅広い業務が経験できるのは、事業領域が広いパナソニックグループならではの強みだと思います。
充実した環境でのびのびと研究開発に取り組んでもらうことが、自分のミッション
――2021年より始まった、サプライチェーン・ソフトウェア専門企業 Blue Yonderとの協業にはどのようなシナジーを感じていますか?
大坪:彼らはクラウド技術に長けていて、ソフトウェア分野において多くのスペシャリティを持っています。そこにセンシングや業務プロセスのモデル化といった、現場におけるパナソニック コネクトの強みをあわせることで、活動全体をより効率化できます。特にBlue Yonder本社にはAIや機械学習に強い優秀なエンジニアも多いので、我々も最新の予測技術など彼らから学ぶものは大きいです。
元々、私たちはハードウェアに強く、開発も組み込みソフトウェアが中心でした。しかし今、急速にモダンなソフトウェア開発ができる組織へと変貌しています。各要素技術がつながり、連携しあって価値を出していく。まさに先ほどの話ではないですが、イノベーションを生み出せる組織であるために、これからも学び続けることが大切だと思っています。
――最後に、大坪さんが考える、今後のビジョンを教えてください
大坪:私自身が描いているビジョンは3つあります。1つはパナソニック コネクトが「現場プロセスイノベーション」というキーワードで掲げているもの。現場の方々が働き続けられるようにするための効率化・自動化への取り組みです。例えば小売業は、身近で生活に欠かせない存在ですが、慢性的な人手不足などの課題を抱えています。そういう現場をCPS技術で変えていくことで、より現場の方々が働きやすい職場を実現していきたいと思っています。
もう1つはBlue Yonderが取り組む「オートノマスサプライチェーン」という領域で、必要なものが必要な方に無駄なく届くような世界を作り続けること。全体を見える化していくことで、食品ロスなどの無駄をなくしていくための予測・現場最適化の技術を社会に導入していきたいです。
最後の1つは、労働機会と対価が得られ続ける世界を作ること。コロナ禍もあり、病気や事故で働けなくなって十分な賃金が得られなくなると、これまで同様に生活できなくなるかもしれないという恐怖感を今、持たれている方も多いのではないでしょうか。近年では、AIが人間の雇用を奪うのではないかという議論も活発化しています。しかし、労働機会と対価が得られなくなってしまっては、結局物も売れなくなってしまいますし、経済は悪化するばかりです。そうならないように、たとえばAIが使いこなせないと仕事がないのならUIやUXを改善したり、身体が不自由で働けないならメタバースで働けるようにしたりといった技術の進化によって、皆が働きたいと思える持続可能な社会をつくることは、今後のB2Bソリューションカンパニーに求められることだと思いますし、私自身のモチベーションにもなっています。
本当にまだまだやるべきことはいくらでもあると思っています。今は、「これだけをやっておけばいい」という時代ではありません。チームのメンバーには、領域に関わらず積極的に新しい論文を読んで、実際に手を動かして価値を検証するというサイクルを各々回してもらっています。各メンバーは自身の仮説に基づいて、専門領域に囚われずに他の研究者とつながったり、学会発表をしたりと、新たな技術の研究に取り組んでいます。クラウドなどの技術資源も含め、充実した環境でのびのびと研究開発に取り組んでもらうことが、今後もチームを率いる自分のミッションです。